“Have We Met?―見知らぬ君へ”

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国際交流基金が主催の“Have We Met?―見知らぬ君へ”へ行ってきましたー。日本のキュレイターは資生堂ギャラリーの河野晴子さん、プログラム・ディレクターは基金の古市保子さん。
大雑把に言うと、「80年代の経済発展、90年代のデジタルテクノロジーの発展を経て出てきた日本と東南アジア・南アジアの新感覚派の若手を取り上げる」という趣旨のこの展示(詳細はこちら参照のこと)。
みんなゆるーい作品。僕は日本のさわひらきさんの作品がすごく好きでした。(ま、そんなことはどーでもいー)
で、タイからは、プラープダー・ユン(Prabda Yoon)がキュレイションを担当し、ウィット・ピムカンチャナポン(Wit Pimkanchanapong)とポーンタウィーサック・リムサクン(Porntaweesak Rimsakul) が参加。
ポーンタウィーサックさんは大阪graf「8月のタイ」同じ作品を出品。(grafの方によれば「8月のタイ」のタイプの足が改良されてる!とのこと)お尻についてるスイッチ押すとヤカンがヒョコヒョコ歩く。神社の鳩みたいにワラワラ蠢いていて可愛い。
そして、ウィット・ピムさん。彼は『tra(b)el(l)』と『Still Animation』の2作品をエントリーしていたんだけど『Still Animation』、ちょっとこれについていろいろ思うところがあるので書いてみようと思う。
Have we met?
僕はこの展示についての批評を2つ読んだ。『朝日新聞』1月20日夕刊の「美術」の欄と『スタジオ・ヴォイス』vol.350の「ART SV CUT UP」 の欄で、どちらも展示については好意的。そして気になるアーティストいくつかを選んでコメントを書いています。どちらもWITさんのことを取り上げている。勝手に転記。
朝日新聞の方。
1月20日夕刊 文=山盛英司
見知らぬ人に「どこかでお会いしたことはありますか?」と声をかけられたら、普通は怪しむ。でも、その問いを展覧会名にした「Have We Met? –見知らぬ君へ」展の場合は大丈夫。インド、インドネシア、タイ、日本の20代から30代の14作家の作品は、みな親しげで、初々しくすらあるから。
(略)
ひねりを利かせた技巧派もいる。
(略)
ウィット・ピムカンチャナポン(タイ)は、家族を撮影した短い映像を反復させ、静止画像でも動画像でもあるような両義的な映像を作り出す。
(略)
90年代、アジアの現代美術は躍進した。それを見て育った新しい世代の美術家や展示企画者たちが活躍を始めた。今回、4ヶ月から選ばれた4人の企画者たちもそうだ。彼らは、アジアを起点に新しい人間関係を作ろうとしているようだ。展覧会名は、そのための軽やかで慎み深い、出会いのあいさつということだろう。

そして「スタジオ・ボイス」誌の方。
Studio Voice
ART SV CUT UP 文=喜藤笑子
(略)
タイの作家は2人しか選ばれなかったが、ウィット・ピムカンチャナポンによる「スティル・アニメーション」は、ヴィデオ素材をわざわざコマ落としで再編集したアニメーションで家族の日常生活のポートレイトといえる小技の効いた小品だが、そのシンプルさゆえに奇妙なオーラが出てしまうともいえる。
(略)

あの、すごく細かいことでなんなのだけど、これ、ちゃんと調べて書いているのでしょうか・・・?
Still Animation
Still Animation”POR” 意味は「お父さん」
WITさんの「スティル・アニメーション」は上の二つの評価ように不思議な魅力を持っている作品です。SOI MUSICに来た人ならば、VJやってたWITさんの才能わかると思うけれど、彼の色々な作品の中でもこれは際立って変でカッコ良い作品。僕も遠藤さんも小山田さんも皆がこれみて、うーんと唸ってしまった。
でも、これは、「撮影した短い映像を反復させ」てなんていないし、「ヴィデオ素材をわざわざコマ落としで再編集」なんてこともしていない。
これは「静止画」を一枚撮って、それを編集している(ちょこちょこ切ったり張ったりしてるんだ。)。「The feeling of Sitll Animation is ‘still picture try to move but cannot’」、イエス。全くもってこれが正解。でそんな作業の結果が「静止画像」と「動画」の間のような、妙な時間、空間を作り出しているんだ。
「短い時間の動画を編集」というのと、「静止画を編集」っていうのでは、作品を見たときに受ける感触・意味合いが全然かわってくるのじゃないかなー、と思う。僕は美術の批評家でもないし、その意味って何だ、説明しろって言われると、それはうまくできないけど、明らかに面白さが違うのは分かる。だいたいさー、それだったらタイトルは「Still Animation」ではなくて「Still Movie」とかになるんじゃないのかな。
仕事として文章書いてる、美術の批評やっている、この2名はこれくらいのこと、(気づかないにしても)調べることぐらい出来たのではと疑問に思ってしまう。そして、この2人の記事を読んだ人がWITさんの作品を、WITさんの意図と全く別の方向の解釈をしてしまうのが怖い。(別に皆が勝手に色々思うのはいいんだけど、この情報が基になっての解釈されてたら、嫌なんです!)
ただ、これはもしかしたらこの2名の書き手のせいではなくて、他の所に「間違い」の原因があったのかもしれない。例えば、国際交流基金が間違った説明をした、キュレイターが勘違いしていた、WITさんが嘘をついた、犬が棒にあたった、樽ドルが人気だ、etc。
冗談は「ソムタム(青パパイヤのサラダ)」作るバチで粉砕しておくとして、まあ、どこに原因があるのかわからないけれど、もう書いてしまった文章はしょうがない。だからせめて“Have We Met?―見知らぬ君へ”を楽しんだ人、WITさんの作品が気になった人、ちょっとした勘違いの原因を作った人たちがググって、検索して、この文章を読んでくれればと思う。だから名前も色々書いてみた。
最後に、ローカルキュレイターを担当した、プラープダー・ユンがパンフレットに書いた文章。これが一番良く「分かってる」。プラープダーはさんいつもホントによく分かってる。(ていうか、レヴュアーはこんな基本的な資料読んでないのかな。)
以下『“Have We Met?―見知らぬ君へ”展カタログ』プラープダー・ユンによるウィット・ピムについての文章より抜粋。

write= Prapda yoon
「アニメート」という言葉は、動きを作り出すことを意味する。ピムカンチャナポンの《Still Animation》は、実際に動いている私的なイメージ――多くは彼の家族の写真――である。しかしそれらのイメージは、決まった位置で動く。これらは何か別のものになるような動き方をするわけではないので、「静止画像」だとも言えるだろう。「次」という時間への変遷や過程、飛躍はないのだ。「Still Animation」という言葉は、意味を成さない。アニメーションは静止したままでいるわけにはいかない。静止画像も動くわけにはいかない。
(以下略)

ウィットさんは、バンコクのデザインオフィスで、ひょろひょろした体で、ぼさぼさした頭で、あんまり寝ないで、めちゃんこ楽しいアイディア考えてる。日本での折角の晴れ舞台なんだから、ちと頼みますよ(だれがだ?)、愛だろ愛。
以上(はー、ながっ)。
きむら(soi music)
Still Animation
Still Animation、おかーさーん!!!

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