福冨です。
いきなり余談ですが、先日このブログを読んでバンコクの独立系書店Candide Booksを訪れてみた、という方に偶然お会いしました。前回の記事を書いたあと、店舗スペースが拡張されてカフェのテナントが入ったため、全体的にさらにゆったりとしたお店の作りに変わっています。是非みなさんものんびりしに行ってみてください。(前回の記事)
さて本題ですが、昨年末頃から、東京外国語大学の教員・学生を中心に、古今の東南アジア文学の作品を翻訳紹介する雑誌『東南アジア文学』を作っています。もともと1996年に同大の教員と学生で発行を始めた雑誌なのですが、10号まで出て1999年から休刊。2013年になってもういっちょやるかと、同年10月の第11号から再刊しました。今年の6月に第12号を発行したところです。
今のところタイとベトナムの文学作品や評論の日本語訳のみを掲載していますが、今後はもっと沢山の国・地域の作品を紹介していく予定です。
基本的に無料で配布しているのですが、印刷部数が少ないためあまり多くのところにお配りできていません。その代わりと言ってはなんですが、それぞれの作家・関係者から許可をいただいて、雑誌のtumblrページから翻訳作品のpdfファイルをダウンロードできるようにしています。
各翻訳者による各作家・作品の解説や、作品からの引用などを定期的にポストしているので、tumblrユーザーの方は是非フォローもしてみてくださいね。
さてせっかくなので11号と12号でタイ文学の一体どんな作品が取り上げられたのか少し見てみましょう。
第11号
- 「天使の都、天使の檻(1)〔クルンテープ、クロンテープ〕」 / ウティット・ヘーマムーン(ダウンロード)
- 「罵る声」 / ウティット・ヘーマムーン(ダウンロード)
- 「ほんとうの死」 / チラット・チャルームセーンヤーコーン(ダウンロード)
- 「古い家」 / サムット・ティータット(ダウンロード)
- 「いとこ」 / シーブーラパー(ダウンロード)
上から順番に行きましょう。1と2のウティット・ヘーマムーンは1975年生まれ、2009年に長編『ラップレー、ケンコーイ』が東南アジア文学賞を受賞した、今のタイでいちばん精力的に活動している作家の一人です。2014年からは文芸誌WRITERの編集長も務めています。ここに所収された短編二本は2014年の最新短編集『悪、俗』にも所収されている二作品ですね。
これまで長編作品ではタイの地方にある自分の故郷の物語を書くことの多かった彼ですが、ここ最近ではその焦点がバンコクの都市生活に移っているような印象があります。「天使の〜」は2006年軍事クーデター直下のバンコクのスラムに生きる不良少年たちの、「罵る声」は絆と記憶を失った男と創り出された神聖性にまつわる物語、とでも言えるかもしれません。
3と4のサムット・ティータットことチラット・チャルームセーンヤーコーンは以前もこちらのブログで紹介しました若手作家です。「ほんとうの死」は本名のチラット名義で以前に出版された短編集の作品です。近未来ディストピア小説風ですが、繊細でノスタルジックな人間の意識の流れがよく描かれている作品だと思います。「古い家」は彼の作品に通底する「こちら側とあちら側」の邂逅/あるいは日常と異常の遭遇、みたいなものを冷たさを感じるほどに平易に書いている作品です。
5のシーブーラパーはなんと1905年生まれの作家ですが、現在のタイの小説の基礎を作った作家として、タイ文学を語る際には100%言及される大作家です。タイ社会における自由と平等の実現を目指した活動家としての側面と、その理想を反映した作品が注目されがちですが、彼のキャリアの最初期である1929年に書かれたこの「いとこ」という作品は、むしろ娯楽性の高い悲恋ものの短編として読めるかもしれません。時代背景を考えれば、タイにおいて「恋愛」と「結婚」が分化していく、結婚が家族のものから私的なものへと移り変わって行く過程を描写している、とも言えるかもしれませんね。
第12号
1の「文学における市民」は作品ではなく、2014年に行われた、作家たちによるセミナーのもようを撮影したビデオクリップの音声をテープ起こしして、それを翻訳したものです。作家集団セーン・サムヌック(意識の光)というのは、プラープダー・ユンやウティット・ヘーマムーンをはじめ、東南アジア文学賞詩人のサカーリーヤー・アマタヤーや名インタビュアーで詩人・編集者のウォーラポット・パンポン、おそらくいまのタイでいちばんラディカルながら冷静沈着な批評を書くことのできる作家・編集者のワート・ラウィーをメンバーとする作家集団です。
作家たちが現代のタイにおける文学の役割に関する話をしているため政治的な内容も多いのですが、いまのタイでおそらく最前線にいる作家たちがそれぞれ何を思い、何を考えて作品を生み出し、行動しているのかということがとてもよくわかるセミナーになっているかと思います。
2のシーダオルアンは1943年生まれで、まだ存命中の作家です。戦後のタイ文学においては、女性の作家は軒並み大衆恋愛小説家として活動しているという相場が決まりがちなのですが、そんな中で数少ない純文学系の女性作家です。彼女の夫がタイ文学において「文芸誌」というものを誕生・成立させた編集者であるスチャート・サワッシーであるというのも影響しているのでしょう。
ここに所収された1981年発表の「静かに流れ落ちた涙」はとある若い夫婦とその間に生まれた子どものことを描いた物語です。一見家族小説的ですが、そのバックグラウンドとして見え隠れする、タイ社会に根付く格差が物語の方向性を決めているところがあります。1970年代の政治動乱が収束してからのタイ文学というのは、そのテーマが政治・社会的なものから個人的なものに移って行ったと言われていますが、そういった移り変わりの時期の作品という意味でも、興味深いです。
3の「粉雪の下に眠る」は日本でもおなじみ、プラープダー・ユンが2006年に発表した中編です。タイ語版は100ページ超の一冊の本として出版されているものなので、それがまるまる読めるとなるとお得感がありますね!
バンコク、日光、ニューヨークを舞台に、謎の奇病に自らの意志を乗っ取られていく人々と、その奇妙な症状の様子を(部屋に閉じこもりながら)追いかける男の姿を、意外や意外、かなり官能的に描いた物語です。表面的にストーリーだけを追うと放埒なディザスター小説になってしまいそうなところですが、この小説を機にその後の作品でも展開されていく広義の「自然」に関するプラープダーの思想によって、物語がかなり緻密にコントロールされています。プラープダーが実際に滞在していた日光の情景の優美な描写も心に響きますね。
さて、長くなってしまいました。日本語で読むことのできる東南アジア文学、タイ文学の作品の数というのは、他の国や地域の作品に比べるとやはりまだ圧倒的に少ないです。あまりこういった媒体はないかと思いますし、面白い作品をこれからも沢山紹介していきますので『東南アジア文学』是非読んでみてください。
『東南アジア文学』tumblr : http://sealit2013.tumblr.com/
tumblrの更新情報はtwitter(@sh0f)にもアップしています。